”イングリッシュデバイド”、訳すと、”英語格差”という言葉をご存知だろうか?
英語力の差によって引き起こされる様々な社会的不平等が生じるという議論である。
英国、米国、そして、オーストラリアなど、移民を多く受け入れる国々にとってイングリッシュデバイドに関する問題はかなり前から喫緊の課題だった。
「英語が生活の質を左右し、格差を拡大させる」という意識を懐疑的と思える日本人も今や大分減ってきたのではないだろうか?
なぜなら、会社勤めのお父さんも中国と商売するときも英語が普通に共通語だし、東京の外資系IT企業を英語が共通語のインド人が占めたり、楽天の社内共通言語は英語だ。大企業は英語、日本語を話せる中国人などの外国人を採用したがることを最近のニュースなど、日本での外国人の活躍を多く耳にするようになり、我が子の将来を案ずるようになってきたからだ。
米国ではすでに起こっていたし、かくいう私も20年前、カリフォルニアのIT企業にてプログラマーとして勤めていた際、同僚はベトナム人、中国人、ロシア人、上司は私より10歳も若い20代前半のニッキーというフィリピン人女性だった。決して知識と経験では負けないと思っていたが、私も含めて、多くの日本人エンジニアは英語が苦手だったのだ。正確に言うと英語でのコミュニケーションが苦手だったのだ。
あと10年もすれば、中国人、インド人、フィリピン人、または韓国人など、英語のコミュニケーション養成に力を入れている国の子供たちが我が子の上司となるだろう。
では、なぜ、我が子の未来は暗いのだろうか?
戦後の学校教育や数多ある学習塾は知識の詰め込みだけで十分だったからREADINGとWRITINGだけしか教えてこなかったからである。会話などは無駄と考え、軽視されてしまった。いわれた事をそつなくやりこなせればそれで給料はもらえたし十分だった。
簡単にいうとInputだけ学んでOutputを学んでこなかったからである。
しかし、Input/ Outputだけでも足りない。それに加えて「人間力」と表現すべきか、「課題を与えられたらそれをやり抜ける力」が我が子には必要になってくる。大学で流行っているリベラルアーツがそれにあたるかもしれない。
ところで、戦後、このような詰め込み教育を柱とする多くの学習塾が乱立する中で、創設時から全くその理念が変わっていない学習塾がある。
それがECCジュニアだ。
創設時のECCジュニアのビジョンが今ほど輝く時代はない。
どうか大切な我が子をECCジュニアに預けていただけませんか?
ECCジュニアは次世代のリーダーを育てます。
代表 石川